当スクールの想い ~第12章:呪縛~

「バイリンガル講師の後釜ですから、授業は英語でお願い致します」そういう話しで大学講師の仕事を依頼されました。
生徒達は、やれと言われた事は必ずやってきてくれます。授業にもきちんと出席し、熱心に板書をしてくれます。課題の提出日も正確に守ってくれます。

しかし、生徒が授業中に自己表現をすることはまれです。一般的にシャイな生徒が多いようです。他人と積極的にコミュニケーションを取ろうとする生徒はほとんどいません。
英語に対しての「苦手感」そして「ある種の息苦しさ」は私がかつて感じていた英語感、そのものです。

期末テストとして行われるのは3分間のスピーチ。ペアと5分間会話を継続すること。そして、セルフトレーニングの量で成績を付けることにしました。
人前で話すこと。人と積極的に関ること。それを求められた彼らの戸惑いは、容易に想像することができました。
まずはクラスメートと挨拶。その後3分間世間話をする「スモールトーク」。クラブ活動や趣味について、ペアでおしゃべりする「ペアトーク」。そして一分間スピーチ。
段階的に時間が伸びていきます。

初回の授業。生徒達の口があんぐり開いています。椅子に座って板書をするのではなく、英語を使って自分のことを話さなければならないことに、戸惑いを感じているのでしょう。
一ヶ月もすると、変わるものがありました。生徒達の表情です。自分の得意な分野、や好きなことに関して話している時、顔が上気しているのです。そして眼が生き生きとしています。
それはなぜか?発言が強制されていないからではないでしょうか?
縛られず、自分の好きなことについて話しているときは、たとえ何語で話していたとしても楽しい。そんな当たり前の事を、生徒の表情が教えてくれている気がするのです。

そして最終日は驚きの連続でした。強要していないにも関らず、写真やデータを掲示しながら、趣味について、家族について、健康について、サークル活動について、緊張しながらも嬉々とスピーチする姿は、私の想像をはるかに超える出来だったのです。
「オレ達を見くびるなよ」そう、訴えられているかのようでした。

世界でも有数の商業国。まじめで勤勉な日本人がなぜ英語が不得意なのか、この不可解とも思える現象に、今まで多くの議論がなされてきました。
ある学者の言葉をここに、紹介したいと思います。

「自然な英語」と「文法的な英語」は必ずしも一致しない。まず、このことをきちんと認識することが、「正しい英語」の呪縛から逃れるためには必要なのだ。

生徒達の英語は「正しく」はなかったかもしれないし、英語の頂は遠いのかもしれません。しかし、勢いのある彼らの英語には自分らしさが感じられる個性があり、メッセージがダイレクトに心に伝わってきたのです。
英語を道具として使うのなら、必ずしも「正しく」なくても良いのかもしれない。ダボス会議等、国際会議などでも、世界のリーダーとされる方々の英語だって、必ずしも「正しい英語」ではありません。しかし、各自の主張はきちんと伝わってきます。私の英語も、またしかり。
それでも発信することが大事なのだ。そう、学生が教えてくれるのです。

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