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第一章「スイッチ」第三話 

「え~、4月度はPRから3件のご契約を頂くことができました。これもひとえに山田課長のお力添えのお陰です。来月度も精一杯がんばります」


月曜の定例会議で100名の猛者達を前に成果発表をする在りし日の田中さん。器用なタイプではありませんが一生懸命、真摯にお客様に接する田中さんは毎月コンスタントに結果を出していたのです。


「カラン」

 

7杯目のメキシコーラを飲み干す田中さん。「日本人にだってもっと人生楽しむ権利があるはずだ」伊豆、下田、箱根、妙高高原、そしてホノルルに会員制のリゾートクラブを展開する会社、Japan Golden Clubに就職したのは「遊び」に関する仕事に携わりたかったからです。ナンバーワンセールスマンになってホノルル支店で働く。それが田中さんの入社時からの青写真でした。不器用ながらセールスマンとして成果を出してきた田中さんが輝けなくなったのはここ2,3年のことです。

 

「ちきしょう・・・」

 

おしぼりを握り締めつぶやく田中さん。

 


「Barがなかったら教会に通っていただろう」

 

 

壁に貼ってあるポスターの文句を充血した目で凝視する田中さん。静かに目を閉じます。

高々と舞い上がる白球。落下地点で待つ田中さん。だれもが、延長戦を確信した瞬間、強烈な西日と白球が一つになり、白球は無常にも田中さんのグラブからこぼれ落ちるのです。

第62回、全国高校野球選手権 神奈川県予選の準決勝戦。横浜球場で行われたその試合、ライトを守っていた田中さんのエラーがきっかけでチームは決勝進出を逃しました。


田中さんがこの会社を選んだのは、土曜日も出社だったからなのかもしれません。がむしゃらに働いてきました。しかし働くほどに成果が上がったのは一世代前の話です。

靴底をすり減らしても上がらない成果。叱咤激励と言う名のパワーハラスメント。唯一の休みは鉛のようにただただ、寝るだけ。お客様にゆとりの生活を提案する側が磨り減っていては成果が上がりません。自分が何のために働いているのか、認識する余裕すら失くしていました。


「田中さん、チェックしますか?」

 

かすんだその先に、マスターの顔が見て取れます。

「うん・・・」
「田中さん、奥さんお元気ですか?」
「元気・・・のはずだけれど」
「たまには奥さんといらっしゃってくださいね」
「すみません・・・マスター」


階段を上がり地上に出ます。時計は午後2時を指しています。「お父さん、若い娘いますよ。安くしますよっ」田中さんをカモと見たのか、キャバレーの呼び込みが威勢良く田中さんに声を掛けます。

「ガチャ」


6階の角部屋の部屋の鍵を開け、寝ている女房を起こさないように忍び足で歩く田中さん。

「ふ~」

大きく息を吐き出し暗闇の中、水をゴクゴク飲みます。

「カチャ」

寝室のドアを開ける田中さん。春だというのに部屋がひんやりしています。

目をこすりながらベッドを見ると、

 

そこに、寝ているはずの女房の姿はありませんでした。

 

 

 

更新:2009年4月26日 10:54 PM

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